【歌詞考察】mother / マカロニえんぴつ

愛を知らずに魔法は使えない

motherでは “魔法“ がキーワードになっていると思います。

 

“優しさは優しい人が使える魔法” “じゃあ僕はただの人でいるしかないの?”

motherはドラクエとのタイアップ曲なので、魔法もドラクエを意識している言葉なのかなとは思いました。優しさという魔法は優しい人しか使えないのは分かってる。

だけど“僕” は自分のことを優しい人とは思えない、そしてその魔法=優しさは愛を知らないと使えない。

そこでの葛藤が最初の歌詞から感じます。

帰る場所はね、変ってゆくけど

はっとりさんはいつかのインタビューで、“生きることは帰る場所が増えていくことだ。”のようなことを言っていた気がします。

 

生きていくうちにいろんな人とのつながりが増えて、心の帰っていく場所、拠り所が増えていく、ということなのかなと思います。

 

どこかのブログではドラクエではストーリーが進むにつれて、宿(=帰る場所)が変わっていく。という考察を書いていて、これもたしかに、と腑に落ちました。

なあ母さん、僕は守る人を変えたりしない

ここでは曲名のmother=母さんが出てきました。

僕の考えではやさしさという魔法を使えるのは愛を知っているお母さんだと思っています。

だからその母さんに“僕は守る人を変えたりしない”と宣言している。

 

ある意味、自分が愛を知るために、自分にしっかり言い聞かせている気もします。

あなたは何て言うかな

サビの歌詞から“あなた” は愛に溢れていて、優しい人なんだなぁと思います。

 

“ときより弱気で ちっぽけで 迷うことにも迷う僕に、なんていうかな

探していた今日と違って 落ち込んでしまう僕を笑うのだろう“

葛藤に悩み、自分の理想とは違う現実に、打ちのめされる自分を

笑ってくれる。とっても優しさを感じます。

 

“いつまでも余分で余計な言葉を ずっと僕に、僕にくれよ”

時にはいらない言葉だったり、無駄な会話、うっとうしい時もあると思います。

でも、それこそがあなたとの間にある愛なのかなぁと思います。

愛しさも憎たらしさも学んだようです

生きていくうちに、愛しさ憎たらしさ、いろいろな感情を学んでいくと思います。

その過程で、自分も愛を少しずつではあるけど使えるようになったみたいです。

“愛しさも憎たらしさも学んだようです 気分により魔法は使えるようですね”

 

“相変わらず仲間たちは不仲でして それにつけてもワタクシ幸せもんです”

昔からの友人ってのは、相変わらず同じような喧嘩ばっかしてるイメージです。

でも、そういうことがあったとしても、そういう関係性ってのは自分にとって心地がいいものなんですね。

夢より先を走るやつはいない

“夢より先を走るやつはいない” 

ここの歌詞の連続は、短いフレーズで本当に気持ちが伝わってきます。

夢ってのは追っかけるものなんだぜ、だからいつまでも諦めずに

夢を追い続けよう、そういうメッセージだと思います。

 

“裏切りよりも信じれる度量”

人間関係、特に友人、恋人、家族、これらはすべて疑おうと思えばいくらでも疑えます。

でも、それよりも愛するあなたのことを信じること。

それだけの度量をもって生きたい。

僕のことよりも君のことを愛し抜ける人

この最後の一文にはすごく悩まされました。

ずっと自分の中で答えが出ずに、最初の自分の解釈のせいで、分からないままでした。

最初は、僕、君、愛し抜ける人の三人がいると考えていました。

なので、家族関係で言えば、僕のことよりも君(=息子)のことを愛し抜ける人(奥さん)をそばで視ていたい、そういうことなのかなぁと。

でもなかなか腑に落ちませんでしたし、他の考察ブログを見ても最後の歌詞に細かく言及しているところが見つかりませんでした。

 

ずっと考えているうちに、サビでは相手のことを“あなた”と呼んでいるのに、ここでは“君”と言っていることに気づきました。

そして考えた末、“君”とは単に相手のことを指しているんではなく、相手自身を指していることに気づきました。

はっとりさんがいつかに自分自身を愛し抜いてほしいといつか言っていたのを思い出して、

ここでは、私とあなたという二人の関係があって

私のことをよりも自分自身のことを愛し抜ける人(=あなた)、を“そっと 視ていたい、そばで”

自分自身を愛し抜ける人のそばにずっといたい、

自分の大切な人には自分自身を愛し抜いてほしい。という

はっとりさんのメッセージだと思います。

【歌詞考察】なんでもないよ、/ マカロニえんぴつ

「何でもないよ」だけ「」が付いている理由

歌詞の中の君に実際に言っていることは「何でもないよ」だけで、

それ以外の歌詞は自分の心の中で感じていること。

 

“言葉が邪魔になるほどの心の関係”っていうのは

心で通じ合っている関係だからこそ、言葉にする必要はなくて

「何でもないよ」のひとことだけでいい。

 

本当は心の中でいろんなことを考えているけど、心は通じ合っているから。

“からだは関係ないほどの心の関係”

“会いたい、そばにいたい、守りたい、先に死なないでほしい、離さないから離れないで”

っていうのは全部君と僕との“からだ”があるこそのもので、

 

だからこその“そんなんじゃくて”、“そんなもんじゃなくって”

“心”で通じ合っている関係なんです。

主人公自身

主人公は自分に自信がない

“僕には何もないな 参っちまうよもう”

“とっておきのセリフも特別な容姿も”

 

きみがくれるものは“愛や幸せ”のような特別なものじゃなくて、

“普通”だったり“そこに似合う笑顔”

 

そんな君だからこそ、僕のことを信頼していて、僕も君のことを信頼している。

“なんて訊いたりしないよ、だって君がよかったんだ そんな僕の予感なんだ”

 

“僕には何もないな“ やっぱりそんなことを思ってしまいそうになるけど、

“君の本気で怒った顔も呑気に眠る顔” “君の大きい笑い声” 

を見たり聞いたりできる僕の目、耳 

 

君が普通をくれるおかげで、“僕”の目や、耳、僕自身がどんどん好きになっていく。

“君といるときの僕が好きだ”

“「何でもないよ」なんでもないよ、””

、、、だけどやっぱり、言いたいことがあるんだ

 

“君といるときの僕が好きだ”

これはやっぱり自分自身を愛してほしいというはっとりさんのメッセージだと思います。

君がいるからこそ自分のことを愛し抜くことができる。だからこそ君とずっと心がつながっていたいんだなあと思います。僕が好きなんだけど、君といるとき、君がいるからこその自分なんだと。

 

はっとりさんは詞を書くときに、歌詞の全体の一貫性はあまり重視していないようですが、やはり全体からはっとりさんの思っていること、メッセージがすごく強く伝わってきます。愛に溢れているなぁと。